今日はミニカー日和。。。

のほほんと続けていけたらいいな~♪

メルセデスベンツ SLS AMG

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Manufacturer:Daimler AG/Production:January2010-2014
Body style:2-door coupe/Layout:Front mid-engine,rear-wheel-drive with Transaxle
Doors:Gull-wing doors
Engine:6.2L M159 V8,32valves,DOHC,n/a Power:591psTorque:650Nm
Performance:Top speed 320kph/0-100kph 3.7s

Transmission:7-speed dual-clutch automatic
Wheelbase:2,680mm
Length:4,638mm/Width:1,939mm/Height:1,252mm
weight:1,619kg


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ガルウィングドアといえばメルセデス・ベンツ300SLが真っ先に思い浮かぶんですが、そのデザインモチーフをさかのぼれば第2次大戦後メルセデス・ベンツが国際舞台でのレース再復帰にあたって開発したW194に行き着きます。
W194は戦後初参戦したその年にル・マン24時間レースで優勝するなど当時を代表するモンスターマシンとしても有名です。
300SLはそのW194のロードゴーイングレーサーにあたるのですが、同じくガルウィングドアを採用したSLS AMGは、AMGにとって初めてエンジンも含めてゼロから開発した市販車両になります。


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この間、近所の平和堂の廃盤トミカのコーナーでロータス エヴォーラと共に購入しました。
自分としてはトミカはカッコいいところが魅力だと思ってるんですが、今回のSLS AMGはシルバーのカラーリングといい大満足の1台です。



1025HP MERCEDES SLS AMG 6.2 V8 Elmerhaus SUPERCHARGED 318km/h AUTOBAHN POV by AutoTopNL

BRM P201 2nd South African GP 1974

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フィリップモリス社といえば世界最大のタバコ企業として、そしてその1ブランドのマールボロモータースポーツの世界では赤と白のカラーリングで有名ですね。
特にF1に限っていえばマールボロカラーに塗られたマクラーレンや大きくタイトルロゴが描かれたフェラーリのマシンが一時代を築きました。
世界的なタバコ広告の規制によってF1の世界から他のタバコスポンサーが撤退して久しいですが、それでもフェラーリとの長年のスポンサー契約は今もってなお継続中です。
そのマールボロがF1でタイトルスポンサーを飾ったのが1972年と翌73年のBRMが初めてになります。
肝心の2年間にわたる両者の関係ですが、見た目の派手さと裏腹にそのレースの結果はフィリップモリス側にとってとうてい納得のいかないものでした。
1973年のF1グランプリは年間全15戦で争われましたが、すでに第10戦目の開催地のオランダでBRMの会長ルイス・スタンレーは来年度のスポンサー契約更新の打ち切りを告げられていました。
それはBRMにとっては終わりの始まりを意味していました。


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1974年、シーズンが始まるにあたってクレイ・レガッツォーニとニキ・ラウダという当時の最高クラスのドライバーが揃ってフェラーリへ移籍したのをはじめ、大口スポンサーのマールボロまでを失ったBRMチームに最後に残されたものは赤と白からかわって緑と銀に塗り替えられた3年越しの老嬢P160のみでした。
後継機P201はロータスから戻ってきたデザイナーのマイク・ピルビームの手でようやく完成しましたがシーズン序盤には間に合いませんでした。
新型マシンのP201はP160よりも近代化した外観ですが、その旧態依然としたV12エンジンはライバルに対してパフォーマンスを欠いているだけでなく、その後はわずかなパワー向上と引き換えに以前よりか信頼性すらも失ってしまいました。
マールボロにかわってのフランス資本のスポンサーであるモチュールがチームに投じた資金はマールボロ時代とは比べものにならない額でした。


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この年も残留したフランス人ドライバーのジャン=ピエール・ベルトワーズの手で第3戦の南アフリカGPを初登場でありながら2位で飾ったP201ですがBRMとしてはこれが最後の表彰台となりました。
またこの年限りで引退したベルトワーズとチームに取ってはP201であげた第5戦のベルギーGPの5位が最後のポイント獲得になりました。

今回のモデルですがスパーク製の1/43ミニカーになります。
特徴的な3角断面モノコックのボディ形状から、開発にあたっては参考にしたであろうブラバムBT42と比較されますが、空気抵抗に対する考え方などまるで別のマシンです。
BT42や44が何かと説明がつく外観をしていますが、P201の場合は未消化な部分もみられてミステリアスな存在ですね。
このちょっとあやしくもかっこ悪いところが魅力のモデルかも。
実車の当時の写真とミニカーを見比べてですがカムカバーのBRMの文字が再現されてるのも嬉しいですね。
あと同じ年のモンツァで走ってた方が、サイドラジエーターのカバーの違いとかリアウイングが低く水平に取り付けられてるみたいに見えるところから、モデル化されたらそっちの方が好みかも。
でも1周で電気系統の問題からリタイアしたんですが。
ところで発売になったオールドF1モデルのミニカーをチェックしていると、聞いたことがあるドライバーはみんな一回は乗ってたんじゃないかと錯覚するぐらい往時のBRMは勢いがありました。
マールボロ時代はグリッド上に一度に10台もBRMチーム所属のマシンが並ぶレースがあったくらいですから。
BRMに対しては格別な思い入れもないはずですが、その後のあまりにもの急転落ぶりとP201の不思議な魅力がなにげに自分の興味を引き続ける理由なのかもしれませんね。

Mercedes-AMG GT3 6th 24H SPA 2018

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今回のモデルは、2018年にベルギーのスパ・フランコルシャンサーキットで開催されたスパ24時間耐久レースに参戦したメルセデスAMG AKKA ASPチームの88号車になります。
AKKA ASPチームの前身、チームASP(Auto Sport Promotion)はジェローム・ポリサンドによって1999年に設立されました。
チームはポルシェカレラカップでの成功のあと、2011年からはフェラーリ458で国際規格のGT3レースに参戦しています。
2015年から新興の情報システム・電気通信関連のデジタルサービス企業であるAKKA(アッカ)テクノロジーズがタイトルスポンサーとなり、翌2016年からはメルセデスAMGのユーザーとして近年では強豪に名を連ねています。
88号車のラファエル・マルチェロとアッカASPチームは欧州GT3レースの最高峰であるブランパンGTシリーズの2018年の総合チャンピオンです。


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スパ24時間レースのタイトルスポンサーであるTOTAL(トタル)のロゴマークが見えますね。
フランスの石油会社でモータースポーツ関連ですぐに思い浮かぶのってelf(エルフ)のロゴと青のイメージカラーでしたが、もうだいぶ前からTOTALの一部門だったとは今回初めて知りました。
そういえばWRCに参戦中のシトロエンのマシンには1番目立つ場所にレッドブルと並んでTOTALの名前が。。。
近年のモータースポーツのメインスポンサーだったんですねえ。


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現在のスパ24時間レースはブランパンGTシリーズの一戦に組み込まれていますが、週末に2回の60分レースを行い競い合うスプリントカップと違い長距離イベントのエンデュランスカップにあたります。
スパ24時間はル・マン24時間デイトナ24時間と並んで“世界3大耐久レース”と数えられるだけにシリーズの中でも特に人気があり参加台数はスプリントカップの20台と違い60台の枠が設けられています。
限定のスペシャルカラーを施されたマシンも参戦するGT3のお祭りですのでミニカーを定期的に購入する身としてはまさに欠かせない注目のイベントですね。

スパーク製の1/43ミニカーですが、スパークが発売するモデルのなかでもGT3系の出来のよさは定評がありますよね。
今回もアンテナの傾きとかパーツの欠損など個体差はあるのですが、どれも気にならないレベルにとどまってます。
個人的にはAMG GT3の悪者フェイスが気に入っています。

Brabham BT19 Belgium GP 1967

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1967年のF1世界選手権コンストラクターズとドライバーズの両タイトルを獲得したブラバムですが、この年の優勝争いの相手はフォード・コスワースDFVを載せたロータスと全盛期のジム・クラークの組み合わせでした。
マシンの作りも革新のロータスにたいして堅実保守のブラバムといったお互いに好対照な関係で、レーシングカーの開発、販売の上でもライバル関係の両社だっただけにブラバム陣営のよろこびもひとしおだったでしょう。
同郷のオーストラリアのレプコ製エンジンを載せたBT19ですが、エンジンよりも車体が勝ったハンドリングマシンだったみたいです

今回のモデルはスパーク製の1/43ミニカーになります。
自分の持ってる葉巻型はこれ1台しかありませんが、最初はスパーク側のデカール貼り忘れかと思ってました。
でも当時のフォーミュラー・カーにはシートベルトが装着されていないのが普通でした。
1968年途中からのマシンへの装着義務化のあとも締め付け感を嫌ってレース時はシートベルトの着用を拒むドライバーもいました。


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1967年のベルギーGPは当時高速サーキットで有名なスパ・フランコルシャンで開催されました。
予選の結果ですがポールポジションをとったのはロータスジム・クラークでした。
非力なレプコ製のエンジンを搭載したブラバム勢は、御大ジャック・ブラバムのNo.25が今レースが初登場ですが最初から新規定の3ℓエンジンに合わせて空力面で改良設計された新型BT24で7位。
デニス・ハルムが乗るNo.26を付けた前年の優勝マシンBT19は14位でした(旧規定の1.5ℓエンジンの搭載を前提として設計されましたが、最初から3ℓエンジンを載せて登場しました)。
決勝レースは28周395.36kmで行われ、No.25、26の両車は15周と14周で共にエンジン故障によりリタイアとなりました。
優勝は予選2番手につけていたイーグルのダン・ガーニーで、今回がアメリカ人によるアメリカ車でのF1初勝利でもありました。
ロータスジム・クラークは11周にわたり1位を独走していましたが、プラグ交換からピットインをよぎなくされ、首位から1周遅れの6位でレースを終えています。

今回のミニカーですがフィギュアがカッコいいので気に入ってます。
ドライバーのデニス・ハルムですが当時の画像を見たところけっこう渋い風貌をしていました。
愛称が"デニー・ザ・ベア”というのもうなずけますね。
1967年のF1チャンピオンです。
1992年にレース中に死亡しましたが享年56歳でした。



David Coulthard drives Jim Clark's Lotus 25
☝天才クラークはスパのコースが大嫌いでしたが、それでも62年から65年までロータスに乗って4連勝を飾っています。
1.5ℓエンジン搭載のロータス25ですが美しいですね。。。


☟苦労人でそうとうにフランクな人柄だったみたいですね。

Being Jack: Brabham track test

Toyota TS040 Hybrid Le Mans 2015

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自分が購入した初めてのスパークのミニカーです。
スパークのル・マン偏愛ぶり、そしてル・マン24時間レースの主催者であるACOフランス西部自動車クラブ)のGTカーよりもプロトタイプカー押しはつとに有名ですが、それまでレーシングの世界に関心がなかったんでこの形には最初すごい違和感を感じました。
このレースが「先進テクノロジーを試す場」だけに未来を感じる宇宙船のようで深海魚みたいなすごい外観しています。

今日久しぶりに段ボールの中から出してみたんだけど、1/43なのに小さく感じました。
それだけ凝縮した密度感がこのモデルにはあるんですね。
木製の台座も好きなポイントです。


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ゼッケンにカーナンバー“1”をつけてるのはこの年だけみたいだけどちょっと誇らしげですね。

ル・マン24時間レースに参加するマシンのカテゴリーの中では最高峰にあたるLMP1クラスですが、年間決められ数だけコースに合わせて異なるエアロパッケージを使用することが許されています。
ル・マンでは直線での最高速度の伸びを重視してドラッグ(空気抵抗)削減のためにフロントフェンダーが立った外観のロードラック仕様が使われています。
安全の為のレギュレーション上設けられたフェンダーの開口部からの空気の吸い出しを抑えるにはフロントフェンダーを立てるのが効果的だからです。
吸い出しが減るとさらにリヤに速い空気が流れるので、同じダウンフォースを発生させるにしてもリヤウイングを寝かせることができ、そのぶんまたドラッグを減らすことができます。
反対にフロントフェンダー前端を寝かせると、吸い出しが促進されフロントのダウンフォースが稼げるのと同時にドラッグも増える方向にあります。
ル・マン以外のコースでは前端を寝かせるハイダウンフォース仕様が一般的ですので、ル・マンの特殊性がよくわかりますね。


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当時ディーゼルエンジンル・マンを支配していた絶対王者アウディに、自然吸気エンジンベースのハイブリッドシステム搭載車で勝負を挑んだトヨタですが、そのせいかこの青のカラーリングはヒロイックにみえますね。

2012年、レーシングハイブリッドのTS030でル・マン24時間レースに復帰したトヨタですが、1999年のTS020以来まさに13年ぶりの出来事になります。
1号車のドライバーはA.デイビッドソン/S.ブエミ/中島一貴です。
中島一貴選手はトヨタル・マン復帰以降エースとして歴代のレーシングハイブリッドをドライブしてきました。
父は中島悟選手ですが、1985年にトムス・トヨタトヨタル・マン初参戦を飾ったりで父子でル・マンに縁があるんですね。


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参戦3年目の2014年、新レギュレーションの導入で開発当初から思い描いてきた4輪回生システムがついに実現しました。
減速時に大量に発生するエネルギーを効率良く回生する為には前輪の回生も加えた4輪回生が必須条件になります。
リヤのデンソー製MGUのほかにフロントにもアイシン・エィ・ダブリュ製の高性能MGU(モーター/ジェネレーターユニット)を搭載した新開発のTS040でこの年のトヨタル・マンを除いて圧倒的に速かったのです。

残すはル・マン初制覇のみ。
2015年速さに信頼性も手に入れたTS040で悲願達成はすぐ目前に思われましたが。。。



Le Mans 2014 - A bord de la Toyota TS 040 HYBRID n°7

日産GT-R NISMO 2020

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今年はGT-Rの生誕50周年とのことで実車の限定モデルのほうもトミカから発売されていますね。
それとは別に今回のモデルは日産のモータースポーツ事業、およびハイパフォーマンスモデルの開発を手がけるNISMOがチューニングを施したGT-Rの高性能バージョンの2020年型にあたります。
開封した時、車の屋根の色が違うと思ったら実車はカーボン製のルーフパネルでした。
ポルシェGT3RSと同様なフロントフェンダー上のエアアウトレットも再現されてたりでこれはカッコいいミニカーですよね。


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このボリューミーなスタイルが迫力があって好きなんですが、色々とレースをするうえでは不利みたいですね。
重心が高いのでロールが大きくなってタイヤの負担が大変みたいです。
ポルシェ911もエンジン搭載位置から後輪タイヤの摩耗には苦しんでますよね。


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GT-Rといえばこの後ろ姿で決まり!

自分の中でともにスポーツカーのイコンですが、GT-Rポルシェ911ってなんだか存在が重なって見えます
出自がお互いに純な存在のスポーツカーじゃないし、今更ミッドシップ化できない弱みがありますし。
あとデビュー当時にポルシェを鈴鹿サーキットで抜いたのがスカイライン伝説の始まりでしたよね。。。

クラウンアスリートG "ReBORN PINK”

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トミカトヨタ クラウン アスリート ピンクになります。
S21系クラウンアスリートなのですがこの特徴なフロントグリルはイナズマグリルって言われてるみたいです。
でもこの呼び名はそうとうカッコいいですね。


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クラウンの場合、その成り立ちからデザインの制約が多い車なのですが。。。
クーペスタイルなセダンが当たり前になった現在から見ると、けっこう新鮮な感じがしますよね。
ちなみに"モモタロウ”クラウンの販売台数が一番多かった県は愛知県だそうです。


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今どうなってるんだろうと思って中古車販売のネットを覗いてみると、やっぱり走行距離が少ないのばかりですね。
法人名義が普通のクラウンよりも多いみたいですし。。。
そのカラーリングからちょっとミステリアスな感じの車ですが、みんカラ若い女性の方が乗っておられるのを見てイイ感じ受けましたよ。