今日はミニカー日和。。。

のほほんと続けていけたらいいな~♪

BRM P201 2nd South African GP 1974

f:id:AureliaB20:20190826011444j:plain

フィリップモリス社といえば世界最大のタバコ企業として、そしてその1ブランドのマールボロモータースポーツの世界では赤と白のカラーリングで有名ですね。
特にF1に限っていえばマールボロカラーに塗られたマクラーレンや大きくタイトルロゴが描かれたフェラーリのマシンが一時代を築きました。
世界的なタバコ広告の規制によってF1の世界から他のタバコスポンサーが撤退して久しいですが、それでもフェラーリとの長年のスポンサー契約は今もってなお継続中です。
そのマールボロがF1でタイトルスポンサーを飾ったのが1972年と翌73年のBRMが初めてになります。
肝心の2年間にわたる両者の関係ですが、見た目の派手さと裏腹にそのレースの結果はフィリップモリス側にとってとうてい納得のいかないものでした。
1973年のF1グランプリは年間全15戦で争われましたが、すでに第10戦目の開催地のオランダでBRMの会長ルイス・スタンレーは来年度のスポンサー契約更新の打ち切りを告げられていました。
それはBRMにとっては終わりの始まりを意味していました。


f:id:AureliaB20:20190826011427j:plain

1974年、シーズンが始まるにあたってクレイ・レガッツォーニとニキ・ラウダという当時の最高クラスのドライバーが揃ってフェラーリへ移籍したのをはじめ、大口スポンサーのマールボロまでを失ったBRMチームに最後に残されたものは赤と白からかわって緑と銀に塗り替えられた3年越しの老嬢P160のみでした。
後継機P201はロータスから戻ってきたデザイナーのマイク・ピルビームの手でようやく完成しましたがシーズン序盤には間に合いませんでした。
新型マシンのP201はP160よりも近代化した外観ですが、その旧態依然としたV12エンジンはライバルに対してパフォーマンスを欠いているだけでなく、その後はわずかなパワー向上と引き換えに以前よりか信頼性すらも失ってしまいました。
マールボロにかわってのフランス資本のスポンサーであるモチュールがチームに投じた資金はマールボロ時代とは比べものにならない額でした。


f:id:AureliaB20:20190826011501j:plain

この年も残留したフランス人ドライバーのジャン=ピエール・ベルトワーズの手で第3戦の南アフリカGPを初登場でありながら2位で飾ったP201ですがBRMとしてはこれが最後の表彰台となりました。
またこの年限りで引退したベルトワーズとチームに取ってはP201であげた第5戦のベルギーGPの5位が最後のポイント獲得になりました。

今回のモデルですがスパーク製の1/43ミニカーになります。
特徴的な3角断面モノコックのボディ形状から、開発にあたっては参考にしたであろうブラバムBT42と比較されますが、空気抵抗に対する考え方などまるで別のマシンです。
BT42や44が何かと説明がつく外観をしていますが、P201の場合は未消化な部分もみられてミステリアスな存在ですね。
このちょっとあやしくもかっこ悪いところが魅力のモデルかも。
実車の当時の写真とミニカーを見比べてですがカムカバーのBRMの文字が再現されてるのも嬉しいですね。
あと同じ年のモンツァで走ってた方が、サイドラジエーターのカバーの違いとかリアウイングが低く水平に取り付けられてるみたいに見えるところから、モデル化されたらそっちの方が好みかも。
でも1周で電気系統の問題からリタイアしたんですが。
ところで発売になったオールドF1モデルのミニカーをチェックしていると、聞いたことがあるドライバーはみんな一回は乗ってたんじゃないかと錯覚するぐらい往時のBRMは勢いがありました。
マールボロ時代はグリッド上に一度に10台もBRMチーム所属のマシンが並ぶレースがあったくらいですから。
BRMに対しては格別な思い入れもないはずですが、その後のあまりにもの急転落ぶりとP201の不思議な魅力がなにげに自分の興味を引き続ける理由なのかもしれませんね。